『三十路病の唄』──夢と現実のあいだで生きる大人たちへ

現実を知っても、それでも夢を諦めきれない。
そんな気持ちを抱えたまま、日々を生きる人は少なくないと思います。

年齢を重ねるほど、夢を語ることがどこか気恥ずかしくなる。「やりたいことを仕事にしたい」なんて口にすれば、周りからは現実を見ろと言われる。それでも、どうしても諦めきれない想いがある。

河上だいしろうさんの『三十路病の唄』(芳文社・全7巻)は、そんな“まだ終われない大人たち”を描いた群像劇です。

夢を叶える話ではなく、もっと泥くさくて、もっと現実的で、それでも前を向こうとする人たちの物語。読んでいると、自分の中の小さな「まだやりたいこと」にそっと灯がともるような感覚になります。

らすじ

三十路を迎えた男女6人――ラスボス、ミリオン、ムッシュ、チュン、こぎり、おかん。
彼らは同窓会で久々に顔を合わせ、昔語りの中で「もう一度、夢を追ってみよう」と意気投合します。それぞれが職を辞め、シェアハウスで共同生活を始めながら、30歳からの挑戦を始めていきます。

プロゲーマーを目指す者、お笑い芸人として再起を図る者、自分の店を持とうと奮闘する者、音楽を続けようとする者――夢の形は違っても、どの道にも現実の壁が立ちはだかります。例えば、お金、才能、そして年齢など。

彼らが直面するのは、「夢を見すぎだ」と笑われることの痛みや、圧倒的な実力を前に突きつけられる現実の重さです。それでも彼らは、自分の人生をもう一度選び直そうとしていきます。

『三十路病の唄』は、そんな6人の“遅すぎるスタート”を描いた物語です。夢を追うという言葉が、どこか青臭く聞こえてしまう年齢に差し掛かったとき、それでも「まだやりたい」と言える人たちの姿がここにあります。

画の魅力

この作品が描いているのは、夢と現実のあいだで揺れながら生きる人たちの姿です。登場する6人の関係の中には、支え合いや理解が確かにある。けれど一歩外に出れば、「この歳でまだ?」という冷たい視線が待っている。その対比がとてもリアルで、胸に残ります。

夢を追う人もいれば、途中で手放す人もいる。けれどこの漫画は、どちらかを善悪で描いたりはしません。むしろ“うまくいかない現実”の方にこそ、丁寧に目を向けているようにも感じられます。

夢を持つことの美しさではなく、夢を持ち続けることの難しさと、手放すことの痛み。そのどちらにも、同じだけの重さがあることを教えてくれます。物語を通して描かれるのは、成功や挫折といった単純な線ではありません。誰かは前に進もうとし、誰かは立ち止まり、また誰かは自分の中を覗き込む。それぞれの“生きる形”が、少しずつ滲み出ていくように描かれています。

最後まで読んでも、明確な答えは示されません。ただ、夢を追うことも、諦めることも、どちらも同じ現実の一部として描かれている。その曖昧さが、この作品の誠実さなのだと思います。読み終えたあと、何かを強く感じるというより、静かに現実へと戻っていくような余韻が残りました。

とめ

『三十路病の唄』は、夢を入口にして、人が現実の中でどのように選び続けるのかを描いた作品だと思います。作中の六人は、それぞれの事情や限界を抱えながら、迷い、衝突し、ときに立ち止まりつつも、自分の選択に向き合おうとします。

そこで見えてくるのは、達成や挫折といった結果よりも、選ぶたびに生まれる重さです。夢を続けることも、手放すことも、軽い判断ではありません。どちらにも覚悟があり、その後の生活にまで響きます。本作はその重さを誇張せずに積み重ね、場面ごとに登場人物の現実を手触りのまま置いていきます。

読み終えると、夢そのものよりも「この先どう生きるか」という問いが静かに残ります。派手さはありませんが、ページを閉じたあと、呼吸が整うような間が生まれます。

もし今、自分の選択やこれからの生き方に少し迷っているなら、この漫画を手に取ってみてほしいです。きっと、どのページにも現実を生きる人の息づかいがあり、その静けさの中に、あなた自身の答えのかけらが見つかると思います。

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