両国に出かけた日の帰り道、以前から気になっていた「Single O」に寄ってみることにした。歩いているとどうしても視界に引っかかる建物があり、その前を通るたびに「ここは何の店なのだろう」と思わされていた。無骨な質感がどこか街の風景から浮いていて、ずっと気になっていた。
扉を開けると、外とは空気がすっと切り替わる。照明の色や器具の音、コーヒーが扱われている気配が静かに重なっていて、入口から数歩進むだけで店の温度が分かるようだった。カウンターの近くには蛇口のような形のコーヒータップが並んでいて、初めて訪れる人でも自然と目が留まる。
この日はハンドドリップを頼んだが、店の中央に置かれたタップは、Single O の特徴を象徴する存在に見えた。今回は、その仕組みや飲んだ一杯のこと、そして店の印象についてまとめていきたい。
1|外観

両国の通りを歩いていると、街の建物とは少し違った質感の外壁が目に入る。金属の板は塗装がところどころ薄くなり、雨にさらされたような色の揺らぎが残っていて、いわゆる“整えられたカフェ”の佇まいとは少し距離がある。倉庫の名残を思わせる無骨さがあり、初めて見る人は飲食店だと気づかないかもしれない。

ただ、正面に回ると印象が変わる。大きく開けたガラス越しに、カウンターの明かりや豆袋の並びがそのまま見えていて、外壁の粗さとは対照的に“コーヒーが淹れられている空間”がはっきりと存在している。倉庫のような外観と、ガラスの向こう側の整った光景が並ぶことで、店全体に独特のテンションが生まれている。
無骨さが入りづらさにつながるのではなく、むしろ“中で何が行われているのだろう”と自然に視線を引き寄せられる。この質感の差が、店の前を歩くときに妙に記憶に残る理由のひとつだった。
2|店内の空気感

店内は必要以上に広くはないが、席や棚が無理なく配置されていて、視界が詰まる感じはなかった。客席は多くなく、店内でゆっくり作業をするというよりは、コーヒーが作られていく動きを近い距離で感じられる空間という印象に近い。
カウンター奥の棚には豆袋や器具が並んでいるが、物が多すぎるわけではなく、必要な分だけが落ち着いて収まっている。外から見た無骨な印象とは異なり、店の中は用途がはっきりしていて、迷いのないレイアウトになっている。
そして、店の中心に金属の質感が際立つコーヒータップが据えられており、自然と視線がそこに向かう。席数以上に、このタップが店全体の雰囲気をつくっているように感じられた。
3|Single O の背景
Single O は、2003年にオーストラリア・シドニーのサリーヒルズ地区で生まれたロースタリーだ。シドニーのコーヒー文化は、専門性が日常に溶け込んでいる点が特徴で、街のローカルカフェでも質の高い一杯が自然に提供されている。その環境の中で、Single O は比較的早い段階から浅煎りとシングルオリジンを軸に、豆そのものの味がそのまま分かる焙煎を続けてきた。
さらに、生産地との向き合い方にも特徴があり、ダイレクトトレードを積極的に取り入れている。流通を介さず、できるだけ生産者と直接つながりながら豆を仕入れることで、品質の安定と還元の仕組みを両立させる取り組みを行っている。そうした姿勢は、コーヒーの味づくりだけでなく、店全体の方向性にも静かに反映されている。
日本への進出は2010年代。浅煎りを扱う店が増えていたとはいえ、海外ロースタリーが東京で存在感を持つのは簡単ではない。その中で両国という街を選んだ理由は少し意外にも感じられるが、実際に訪れると相性の良さが分かる。観光地ほど密度が高くなく、住宅地ほど閉じていない。街のテンポが落ち着いていて、コーヒーに集中する時間を取りやすい。この場所に店を構えたのは、単なる偶然ではないと感じられた。
4|コーヒータップという体験

店内に入るとまず目に入るのが、カウンターの近くに並んだ金属製のコーヒータップだ。蛇口のような形をした抽出口がいくつも並び、その下にはカップを置くスペースが用意されている。カフェではあまり見ない設備で、初めて訪れた人でも自然と視線が向く。店の中心に置かれていることもあり、このタップがSingle Oを象徴しているように感じられた。
仕組みはシンプルで、支払いを済ませたあと、渡されたカップをタップの下に置き、レバーを引くだけでコーヒーが注がれる。時間にしておよそ十秒ほど。実際に知人がタップのコーヒーを注文していて、その様子を近くで見ていたが、その速さには驚かされた。だが、スピードとは対照的に、注ぎ終えた一杯の味はきちんと整っていた。
浅煎りのコーヒーは、抽出がわずかでもぶれると味の印象が変わりやすい。しかしタップから出てくるコーヒーは、香りがきれいに立ち、雑味がほとんど出ない。時間をかけて丁寧に淹れられた一杯と比べても、輪郭が崩れていない点が印象的だった。抽出プロセスがどのように管理されているのかは分からないが、スピードと味の整い方が両立しているのが、この仕組みの大きな強みだと思う。
もうひとつ印象的だったのは、仕組みとしての“敷居の低さ”だ。普段コーヒーを飲まない人でも、蛇口をひねるような感覚で一杯を作ることができる。時間をかけて抽出を見る楽しみとはまた違った、ほんの少しだけ特別な体験がそこにあった。飲むまでの数秒に小さなイベントが生まれ、店の中の動きに自然と参加できるような感覚がある。
タップは見た目の珍しさ以上に、Single O が長く続けてきた浅煎りの味づくりの方向性を、そのまま別の形で示している設備のように思えた。
5|今回選んだハンドドリップ

この日はハンドドリップでケニアの豆を選んだ。最初のひと口で、明るい酸味の中にブルーベリーのような甘酸っぱさがあり、後からオレンジを思わせる軽い柑橘の印象が重なってくる。果実感がはっきりしていて、浅煎りの軽さと重ならずにまとまっていた。
温度が高いうちは酸味の輪郭が少し前に出るが、飲み進めていくと甘さがゆるやかに浮かび上がる。フルーティといっても軽さだけではなく、風味の中心に少し厚みが残り、味が散っていく感じがなかった。浅煎りの透明感の中に、一点だけ芯のような部分がある印象だった。
タップのコーヒーは、数秒で形が整う一杯としての面白さがある。一方でハンドドリップは、温度の変化によって味の表情が少しずつ変わっていき、その変化に合わせて飲むテンポも自然とゆっくりになる。どちらが良いというより、“一杯にかける時間の長さ”がそのまま飲む体験の違いになっているように感じた。
最後の方まで酸味の印象が保たれ、後味はすっと消えていく。派手さではなく、終始整ったまま小さく変化し続ける一杯だった。
6|おわりに
Single O 両国は、外観の無骨さと店内の整った動きが対照的で、その違いが店の印象を形づくっているように感じた。コーヒータップの存在はやはり大きく、初めて訪れた人でも自然と目が向く設備だった。一方で、ハンドドリップの一杯は、温度の変化に合わせて風味がゆるやかに変わっていく楽しさがあった。
浅煎りを扱うロースタリーとしての考え方や、生産地とのつながり方にも静かな姿勢があり、設備や空間のつくりにもその方向性が落ち着いて表れている。派手さのある店ではないが、要素が過不足なくまとまっていて、訪れたときの印象がそのまま一杯の味の記憶に重なるような場所だった。
両国という街のテンポとも相性がよく、短く寄る日でも、ゆっくり過ごしたい日でも馴染む。近くに行く機会があれば、一度立ち寄ってみるのも良いと思う。 コーヒータップの体験やハンドドリップの一杯に触れると、この店が持つ独特の温度が自然とわかるはずだ。
店舗情報
- 住所:東京都墨田区亀沢 3-21-5
- 電話番号:03-6240-4455
- 営業時間:10:00〜18:00
- 定休日:月・火曜
- 公式サイト:https://singleo.jp/pages/ryogoku